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名古屋市 〜「元祖」基幹バスシステム 世界に先駆けたシステム構築の例 |
我が国有数の大都市でありながら自動車依存都市である名古屋市は、戦後の戦災復興において幅広い道路を整備したことで有名です。 この道路網により、名古屋市内ではバス路線が発達し、隅々にまで路線バスが張り巡らされた「バスの町」でもあります。 そんな名古屋市においても、バスの利用者減少は著しく、またモータリゼーションの進展による自動車利用の増加は社会問題でありました。 そんな名古屋に登場した新バスシステム、それが「基幹バス」、愛称「ミッキー」です。 |
名古屋の基幹バスは路線バスの抱える様々な問題点(定時性悪化、混雑による速度低下、料金抵抗による利用のしにくさ等)を解決し、バスの活性化を図るものとして、1979年(昭和54年)、名古屋市総合交通計画研究会の提案から生み出されたシステムです。
その理念として
1 道路中央専用バスレーン
2 専用優先信号
3 地下鉄並みの停留所間隔と目標標定速度25km/h
4 大型・低床・多扉で快適性の高いバス車両
5 乗換抵抗の少ない施設・料金体系
などを勘案し、今のシステムとなりました。
その後、様々な委員会での審議、検討を経て、1982年(昭和57年)に1号線として東郊線の栄〜星崎間(10.5km)において運行を開始しました。ここでは、表定速度を高めるため、一般バス停のうち主要なバス停にのみ停車する形を採用し、途中の円上〜星崎間(6.75km)では午前7〜9時まで両方向にバスレーンを設置し、バス停にはシェルターを設置するとともに一般バスとの割引乗り継ぎ運賃を採用しています。(バスレーンはその後延長し、丸田町〜星崎間9.6kmとなっています)
東郊線では名古屋高速道路の下街路に路線が設定されているため、理念の一つであった中央走行式は採用されず、通常のバスレーン同様の路側走行方式となっています。
その後、1985年(昭和60年)に2号線として新出来町線の栄〜引山間(10.2km)が整備され、この路線では全国で初めての「中央走行方式」を採用し、カラー舗装のバスレーンとともに、高度なバスシステムが完成しました。
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基幹1号系統 東郊線 |
基幹2号系統 新出来町線 |
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基幹バス区間 |
栄〜星崎 |
栄〜引山 |
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基幹バス区間延長 |
10.5km |
10.2km |
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運行事業者 |
名古屋市交通局 |
名古屋市交通局 名古屋鉄道 |
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走行方式 |
路側走行方式 |
中央走行方式 |
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開業年 |
1982年(昭和57年) |
1985年(昭和60年) |
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バス専用(優先) レーン延長 |
9.6km |
10.2km |
これらの路線では専用車両を用い、朝晩1〜2分間隔で高密度運行がなされ、バス停には接近予告表示やバスシェルターなどが設けられ、高いサービスを提供しています。
また、2003年9月からは東郊線においてテラス型バス停の実証実験が実施されています。
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ルートに沿って敷かれたカラー舗装(新出来町線) |
バスロケーションシステム(東郊線) |
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| バス停を覆うシェルター(新出来町線) | |
さて、この基幹バス、運行開始から利用者は順調に増えつづけ、速度も向上するなど相当な効果を生んでいます。
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東郊線 |
新出来町線 |
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利用者数(平均) |
開業前 |
9,500人/日 |
20,200人/日 |
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開業後(H10) |
15,900人/日 |
26,400人/日 |
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表定速度 |
開業前 |
13.0km/h |
15.0km/h |
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開業後(H10) |
17.0km/h |
20.0km/h |
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(名古屋市交通局調べ) |
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では、この名古屋のシステムがなぜ成功したか、それを考えてみましょう。
成功の要因としては、
1 速達性、定時性の確保
2 面サービスと線サービスの融合というニーズにマッチした路線形態とバイモーダル的な発想
3 高頻度運転による利便性の確保
4 既存バスとの連携、融合による利用しやすさの担保
などが考えられます。
特に、2のバイモーダル発想は大きいと考えられ、地先のバスがそのまま都心まで高度化して乗り入れることで、直結性を担保しつつ面サービスも拡充するというバスならではの策が大きいと考えられます。
さらに、引山バスターミナルなどでの既存バス路線との結節は直結しない地域とのシームレス化にも寄与しており、高い利便性を有したシステムと考えられます。
この基幹バスの思想は、地方都市などにおいて低密度開発が進んでしまったような都市圏では適応性の高いものではないでしょうか。